「まちおこし」というと、何を思い浮かべますか?
私としては、町を興すわけですから、すべてつくりかえるところまで視野に入れておいたほうがよいようにも思うのですが、実際のところ、5年、10年単位で、立てられる構想は、お目にかかったことはありません。
都市計画などもそうなんですが、ベースに「地域」がないんですよね。
従来の「観光」といえば、“集客できればOK!”。だから、イベントでしょ、祭りでしょ、大会でしょ、花火でしょ。なーんにも残りません。
残らないというのは、変でした。ベースがあれば、一過性のものは、消えてもかまわないわけですから。
ですから、そういった一過性の「催し」に、そろばんをはじいても、特別な意味はありませんよね。
たとえば、1年間に、観光客が何人来て、何円消費してもらいたいのか。人口5万人の地域が、年間100万人の観光客を集めて、100億円の消費を実現するには、といったいわゆるビジネスモデルは、はたして必要なのでしょうか。
これって、イベンターの考え方ですよね。
あ、「パンとサーカス」って言葉を思い出しました。
「パン=グルメ」と「サーカス=見世物」で、とりあえず、集められるだけ集めましょ、後のことは知ったこっちゃない、ってわけです。
「観光」って、本来は「旅行」なんですよね。「旅」を楽しむことなんです。
そう考えると、「観光」と「催し」は、違うものじゃないのかな、と感じます。
よく旅の目的は?って、聞かれることがあります。
何々をするためにそこに行く、何々があるからあそこに行く。いまは、そんな感じですよね。
ただ、それだけでいいのかな。
そうすると、「何々」という部分が、一番重要な要素になってしまいます。
ビジネスのにおいがしてきましたよ。こうなってると、いろんな人が寄ってきますよね。
「観光客は、お金を落としてくれる」からなんでしょうか。でも、「観光」を「旅」ととらえれば、お金を使わない選択もあるわけですよ。そもそも「客」ではなくて「旅人」ですからね。
いつのまにか、そういうものになっていたということも、よくあります。
もともとのテーマは、集客ですから、見て楽しむだけで目的が叶う「旅」としての「観光」よりも、訪れたお客さんがお金を落としてくれる「催し」としての「観光」に血道を上げる傾向は、そう簡単には変わるものでもないのでしょう。
ただ、観光客があってこその地域ではないはずで、地域があってこそ訪れる旅人がいると考えたいものですよね。準備して待つというよりも、その地に訪れる人がいればもてなすといったスタンスも、そう悪くはないと思いますよ。
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